世界はめぐる【ホビット 決戦のゆくえ】

『ホビット』三部作は、大ヒットした映画『ロード・オブ・ザ・リング』の前日譚。『決戦のゆくえ』はその最終話で、おそらくはこのシリーズの最後の映画。

そもそも、高校時代に原作のJ.R.R.トールキン『指輪物語』を読んで、ファンタジーの世界の扉を開いた私としては、思い入れの深い物語。今の文庫本からは考えられないほど、細かい文字でギッシリと書かれた、全六巻(英語版は三巻だが、それぞれ上下2分冊になっている)の小説だ。16歳で始めて海外旅行に出て、ブラジルに行った時に旅の途上で読んだので、異国の情景と、異界の情景が重なり合って、とても味わい深かったのを覚えている。

話は逸れるが、指輪物語は、いわゆるエルフやドワーフが現れる剣と魔法の世界のルーツになる物語だ。もちろん、複数のいろんな物語が影響を与えているものはあるだろうが、指輪物語をTRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)としてゲイリー・ガイギャックスがD&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)を作り、D&DをコンピュータでプレイしようとしたのがWizardryやUltimaで、それに影響を受けて日本で生まれたのがドラクエやファイナルファンタジー……と思えば、はるか源流となった指輪物語が今になって映画化されるのは興味深い。ちなみに、J.R.R.トールキンはもともとイギリスの文献学者であり辞書の編纂などを職業としていた人物で、指輪物語の創作にあたって各種神話、とりわけ、北欧神話などを元に『中つ国(Middle-earth)』を創作したらしい。

『ホビット』は、『指輪物語』に先んじて書かれた物語で、子供向けの童話として書かれている。したがって、とてもじゃないが壮大な3部作の映画になるような物語ではなかった。しかし、J.R.R.トールキンは『ホビット』『指輪物語』の他にも、追補編や、追加資料として、前後の歴史や、ドワーフやホビットの血族の家系図などの資料が残しており、本作はそれらを使って話を膨らまされている。

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(↑実家にあった岩波書店版の書籍)

そもそも、『指輪物語』を初めて読んだ時に、この物語が映画化できるとは思えなかった。’85年ぐらいだから、最初のスターウォーズの3部作はあったけれど、それぐらいの特撮で作れるようなものではなかったし、本来の物語は、長く、しかも、後半はフロドとサムが延々とつらい道のりを歩くという展開で、スペクタクルな映画になるとは思えなかった。

だから、2002年から指輪物語3部作の映画が放映された時も、さほど期待せずに見たのだが、その出来はすばらしいものだった。

原作からストーリーは大きく変わっていたのだけど、それは本来の物語りを大きく歪めるものではなく、3部作を3本の映画として完結させられるように、楽しめるように上手く構成されていた。

小柄な『ホビット』や『ドワーフ』を写すときには高めから、ガンダルフなど人を写す時には低めから撮影するなどして、体格の違いを出した撮影手法や、群衆をプログラム手法で個別に動くようにした大群衆の戦闘シーンは、まったく素晴しいものだった。目の黒い内にエントがイメージ通りに動いている映像を見られるとは思いもしなかった。

というわけで、『ロード・オブ・ザ・リング』3部作は素晴しかったし、同じく、ピーター・ジャクソンが監督する『ホビット』3部作も楽しめるに違いないと期待していた。

とはいえ、最初に書いた通り、もともとは童話なわけで、エピソードの絶対量、厚み、は、3部作の映画にするには、不足なわけで、それをいかに膨らますか、大人の物語にするかが映画化の手腕が問われるところだったと思う。

しかし、実際に、映画を観て見ると、どこが膨らまされたのか、まったく分らないほど(笑)うまくボリュームアップされていた。

もともとは、ビルボ中心の物語だったのが、ちゃんといくつかの大人目線の物語がボリュームアップされている。それが、もともと自己中心的なトーリン・オーケンシールドが財宝の魅力に取り憑かれていく部分であり、エスガロスのバルド周辺の物語だったり、キーリとタウリエルの恋だったりした。それらの物語の交錯と、小説を読んで思っていた通りのイメージの映像の素晴しさが、この映画の完成度を高めている。

とはいえ、原作を読んでいたイメージと違うところもある。

エルフや、ドワーフ、ホビット、さらにはゴブリンや、ワーグたちが人間に近過ぎるのだ(笑)

エルフはもっとガラスのように美しいハズだし、なにしろ1000年もの寿命を持つわけだから、あんなに簡単に戦闘で死ぬわけにはいかない(なにしろ、怪我などで死ななければ非常に長命だから、極力戦闘は避けるはず)、女でもヒゲが生えてるというドワーフやもっと太っちょでズンドウでちびのはずだ。そもそも、ドワーフたちが、イメージよりちょっとイケメン過ぎる(笑)

さらに、ゴブリンやワーグが、人間的過ぎる。組織立った軍隊をつくって、戦闘兵器を造って、集団戦闘をするのだから、ある意味、この物語に登場する人間たちよりもはるかに現代の人間っぽい。もしかして、現代に続くに人間に進化するのは、ゴブリンや、ワーグなんじゃないかと思えるほどだ(笑)

とはいえ、中盤のエルロンドと、ガンダルフ、サルマン、ガラドリエルの奥方が戦うシーンは、D&Dをプレイしながら思い描いていたシーンそのもので、鳥肌モノにカッコよかった。

あと、ゴラム(僕の中では原作通りゴクリなんだが、どうして、映画版はゴラムになっちゃんたんだろう?)が、出てこないのもちょっと不満。もうちょっとしつこく追ってきてもよかったのでは? トーリンと、フィーリとキーリは原作でも死んじゃうんだっけ? このへん、さすがに覚えてない。

ともあれ、この物語を元にした映画は、これが最後の一作になるのは残念。

原作の設定では(余談だけど、追補編で語られる年表とか、家系図とか、エピソードの断片はFSSの設定集にソックリなんだけど、永野護氏は、指輪物語の影響を受けたんだろうか?)、物語に語られるはるか前のエピソードや、その後にエルフたち、人間以外の種族たちが次第に衰退していき、人間の世の中が来る(そしておそらく現世に続く)話なんかが語られていたり、指輪の仲間のその後なんかが語られていたりするんだけど、そういう神話に続く悠久の物語は、映画では語られないのねぇ。こればっかりは、やはり小説を読んで、想像する楽しみなのかもしれない。

やっぱり、もう一回、『ホビット』→『指輪物語』の原作を読みたくなってきたなぁ。

 

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