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結石闘病録・その4(2019年1月30日編)『激痛、再来』

結石闘病録シリーズ、最新作。

結石の痛みは酷いが、対応が不可能なのと、通り過ぎたら忘れてしまうというのが難儀だ。

最初の時は、何の痛みか分からず、恐怖感があったが、結石だと分かればガマンするしかない。

『死に至る病』でないせいか、どうも病院のお医者さんも真剣さが足りないような気がする(笑)とどのつまり急いだって、対処のしようがないのだ。

激痛、再来

1月30日。結石と遭遇してから、1カ月が経った。

以来、まったく痛みがないから、もう石は流れたんだと思っていた。

腎臓から、膀胱への管にある間は痛いが、その先、つまり膀胱に行ってしまえば、4mmの小さな石だと痛くないというか気付かないようだった。

が、そんなに甘いものではなかった。

締切で忙しくて、深夜まで仕事をしていた。

もう、集中して原稿を書かないといけないフェイズなので、翌日は自宅作業にする気になっていた。

が、この日のウチに会社で仕上げていかなきゃ行けない部分を書いているウチに腰が痛くなってきた。

腰痛だ。腰を伸ばしたりしながら、原稿を書き続ける。

いや、これ、『ヤバい、ヤツやん』。

どうも、結石の痛みが帰ってきた気がする。

でも、あと、2晩で30ページぐらい書かないといけない。自分が取材してたり、自分の知識で書く原稿だから、誰に頼むわけにもいかない。

とにかく、会社で書かないといけない原稿を書き終えて、片付けてクルマに乗り込んで帰る。帰ろうとする。

が、運転している間に、どんどん痛みが増して来た。

24時を越したあたりだったのだが、これは痛い。痛過ぎる。

この時間では救急病院に行くしかない、家に帰ってもしょうがない。このまま、病院に行こう。

と思ってクルマを止めて、病院を検索しようとするが、なにしろ痛くて、脳に意識がいかない。まともに検索もできない。

ともかく、ぜいぜい言いながら、2〜3件分かったことは、泌尿器科の病院は家から20kmぐらいあるってこと。痛みは増しているから、20kmも運転するのは無理かもしれない。

クルマを放置するわけにもいかないから、家までなんとか帰って、救急車を呼ぼうか。しかし、救急車が来るまで時間もかかるし、20km離れた病院に救急車で行っても、こんど帰りは電車で帰らなきゃいけない。これでは余計しんどい。しかも、今晩原稿を書かないと、締切的には致命的なことになる。

それと、どうやら深夜の救急病院に行っても、結局、痛み止めを処方されるだけのようだ。それでは時間と手間が面倒過ぎて、原稿的に厳しくなるのに、何も助けにならない。

というわけで、家に帰って座薬を使ってガマンすることにした。

一晩、苦しむ

痛い。
いくら、締切が厳しくても、この痛みの中で論理的に思考をまとめて文章を書く事は不可能だ。

根性だけではどうにもならないことがあるのを知った。

家に到着。

申しわけないが、寝ている妻を起して、事情を話し、して欲しいこと(着替えや飲み物の用意など)をしてもらえて、あとはソファに突っ伏したり、座ったりしながら、唸る。さすがにベッドルームに行くとうるさくてしょうがないと思うので、リビングでうんうん唸ってる。

ちなみに、年末の時は肋骨下端の中あたりが痛かったのだが、今回はだいぶ下。膀胱のあたりが痛くなっている。いや、どこが膀胱かは知らないが、いわゆる下腹部が痛い。つまり石の位置はだいぶ下がっているということなのだろうか?

4時頃に痛みが引いて、やっと寝られた。

さすがに、原稿はひと文字も書けなかった。

これは、明日は痛み止めを使いまくってでも、痛みを抑えて原稿を書かざるを得ない。

思えば、痛くなった3回とも、深夜に痛くなって、4時頃の痛みが収まってる。そういうものなのか?

翌朝、痛みが収まったので、起きて原稿を書きはじめる。自宅作業にしておいて本当に良かった(痛くなったら、いつでも座薬を入れたり、吐き気がしたら吐いたりできるから)。

翌日の昼と、夜中に原稿を書きまくって、なんとか締切には間に合わせることができた。

しかし、これ、もう一度痛みが来たらどうしよう……と思ったが、幸いにも痛みは来なかった。

結局、石が出たのか、出てないのか分からないまま、1カ月が経った。いったいどうなったのだろう?

(一応、これで終わりにしたい。続編がないことを祈るw)

(村上タクタ)

 

 

 

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結石闘病録・その3(2019年1月5日編)『見知らぬ、天井』

結石闘病録・その1(2018年12月30日編)
結石闘病録・その2(2018年12月31日編)
の続きです。

横浜の病院へ

結局、正月は「いつ痛みがぶり返すのか?」と、ヒヤヒヤしながら過ごした。

医者によると、石そのものが痛いわけではなくて、石のまわりの内蔵が炎症を起して痛くなるらしい。そんなわけで、石が流れたのか、流れてないのかは分からないけど、内蔵の漠然とした痛みは残る感じ。

鋭く傷む感じはないけど、「また痛くなるかもしれない」っていう残像が残っている感じだ。

ともあれ、年を越してから、痛みがぶり返すことはなく、正月休暇は終わり、クルマを運転して東京に帰ってきた。こういう長距離移動の時は座薬をアイスノンと一緒に保冷パックに入れて、持ち運んでいた。座薬は体温で溶けるらしく、冷やしておく必要があるのだ。冬だったから良かったけど、夏だと大変だなぁ。

救急病院で見てもらった時に、横浜に戻ってから病院に行くようにう言われていたので、近くの大学病院に行った。

めっちゃ長いこと待って、いろんな窓口を回って、尿検索と、レントゲン撮ってから診察。

レントゲンを見ながらお医者さん、「うーん、よく見えませんね」って。

いや、救急病院はCT撮って、めっちゃよく見えてたのに、なんで半日代わりで病院ウロウロして「よく見えませんね」って言われんなんの? 意味分からん。

CT撮ったらええんちゃうん? CT撮るの高いからと遠慮してくれたんやろうか? とはいえ、何にも分からないから、来た意味ないやん。新しい情報はゼロ。

1カ月後に、また来て下さいって言われたけど、マジこれで意味あるんやろうか?

その後、ほぼ1カ月は痛みは来なかった。

(続く)

(村上タクタ)

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結石闘病録・その2(2018年12月31日編)『結石の逆襲』

結石闘病録・その1(2018年12月30日編)
の続編です。

早く書かないと忘れちゃう(笑)

最初の痛みから12時間。痛みが帰ってくる

夜中、激痛にのたうち回ったが、一晩寝たら、けろりと直っていた。

これが鎮痛剤の成果なのか、それとも石の位置が変わったからは分からないが、実家にいる日程は限られているので、のんびりしているワケにもいかない。

この『痛くない時は痛くない』というのが、結石の特徴だと思う。喉元過ぎれば痛くないのだ。

というわけで、高3の受験生である息子(横浜においてきた)のために、娘(つまりお姉ちゃん)と学業の神様である北野天満宮に行って、絵馬を奉納するというタスクをこなさねばならない。

ちなみに、3年前には弟の方と天満宮に行って、姉の絵馬を奉納したから、そのお返しをしたいということなのだ。

クルマに乗って、北野天満宮に行く。

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ところが、天満宮に着く少し前から、腰が痛くなってくる。ヤバい。これは痛みが戻ってきた感じだ。

最初の痛みから、12時間ぐらい。鎮痛剤が切れたのか。腎臓から出た石が尿管を通って、膀胱に行ってしまえば、4mmぐらいの小さな石なので痛みはなくなると聞いていたのだが、これは痛い。膀胱に行ってなくて、単に鎮痛剤が切れていただけなのか?

しかし、痛みが本当にそうなのか迷ってるウチに天満宮に着いてしまった。なんとか乗り越えられるのなら、『絵馬奉納』というタスクはこなしてしまいたい。

というわけで、昨夜処方された飲み薬を飲んで(これはロキソニンらしい)しばらく休んでいたら、痛みも引き、天満宮にお参りもできた。

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帰りに、京都の街を少し歩いて、懐かしい同志社前店の天下一品でラーメンを食べたりする。

紅白を見ながら激痛に耐える

しかしながら、夜になるとまた激痛が帰ってきた。やっぱり、石はまだ流れてなんかいなかったのだ。

おりしも、12月31日。紅白歌合戦なんてやっているが、痛くてそれどころではない。痛みでじっとしていられなくて、貧乏揺すりをしたり、飛んだり撥ねたりする。

痛みの余りトイレに行って吐いてしまったが、天下一品のラーメンを戻すのはあまり気持ちのいい経験ではない(汚い話で失礼)。座薬の鎮痛剤を使うが、なかなか効果は出ない。

紅白歌合戦では、20年ぶりぐらいに僕らの前に姿を現したDA PUMPが「カモンベイベー、アメリカ!」なんて歌ってるが、それに合わせて飛び跳ねていたら、痛みで跳ねているのか、ノリノリになっているのか分からなくなった。

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痛みで飛び跳ねていると、Apple Watchは「ワークアウト中ですね?」なんて言ってくるが、違うのだ。痛いのだ。アップルのヘルスケアもまだまだだなと思わざるを得ない。

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痛みは波のように、強くなったり、ゆるくなったりする。緩んだ瞬間に、年越しそばを食べたり、Facebookに投稿したりしながら、年は明けて行った。これで、最初に発症してから24時間ぐらい。

結局、痛みに飛び跳ねながら、娘が見ていたジャニーズの年越しライブを見たりする。マリウスがステージの向こう側に落ちたりするが、こちらも痛いので、あまり他人の心配をする余裕がない。

結局、痛みが収まって眠りにつけたのはまたしても夜中の4時ごろだった。考えてみたら、夜に限って痛くなるな。そういうものなのか?

(続く)

(村上タクタ)

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結石闘病録・その1(2018年12月30日編)『ファースト・インパクト』

今年は週1で個人ブログを更新するとか書いていたのに、たった2週間しか、公約を守れなかった。

まぁ、ともかく書こう(笑)

実は生まれて初めて結石になったのだが、その激痛の日々から早一カ月。喉元を過ぎて、はやくも痛みを忘れつつあるので、記録をとっておこうと思う。

また、痛くなった時に、記録があれば何か分かるかもしれないし、もしかしたら、他の人の参考になるかもしれない。

まぁ、痛い時にブログなんて読んでる場合ではないんだけど(笑)

予兆

さて、痛みが始まったのは2018年12月30日の深夜。

その前々日28日に仕事納めがあり、29日は横浜の家で半日ゆっくりして、日が暮れてから東名高速を走り出し、30日早朝に京都の実家に着いた。そして、30日は年末恒例の餅つきの日だった。

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今どき、餅つきをする家も少ないかと思うが、我が家では餅つきをする。我々が50歳に近づいて、ようやく両親からバトンを受け継ぎつつあり、実家の庭で我々兄弟とその配偶者、子供たちで餅をつく。

つきたての餅は美味くて、きなこ、餡、大根おろし、納豆などで大量の餅を食う。

しかも、最後の締めは、もち米を蒸した釜の湯を使っての釜揚げうどんだ。

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麺類は、つけた時に水温が下がらない方が美味い。つまり、釜の水の量が多く、火力が強い方が美味いのだ。そんなわけで、ここでまたうどんを何玉か食う。炭水化物ダイエットは新年からまたあらたにやりたいと思う(笑)

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食い過ぎたのか、お腹が張った気がする。さらに、餅つきのせいか腰痛が激しい。しばらくソファーで休む。

風呂上がりの激痛

実家に兄弟家族が集まると、風呂の順番がなかなか回ってこない。女子供を先に……とかやっていると、オッサンに風呂の順番が回ってくるのは深夜1時頃になる。

風呂に入って身体が暖まってくると、しばらくして腰痛が、腹痛に変わってくる。

なんというか、腹の中の餅が風呂の温度で変性したのだろうか? 餅が腸のどこかで詰ってしまったのか、膨れ上がったのか、腸がどこかでねじれて詰ったのか。食べた物が詰っているのか? 腹が痛くなってくる。

激痛といっていい痛みになってくるが、なにしろ夜中の2時。どうにもならない。

食べ過ぎたものを吐けばいいのか? と思って、吐いてみるが何も解決しない。尾籠な話で恐縮だが、なんとか解決しようとしてみるが上からも下からも出しても、腹の膨れた感じ、痛みは一向に解決しない。

しかし、年末の実家に救急車を呼ぶのも派手派手しいしなぁ……。かといって、クルマの運転している途中にこれ以上痛みが激しくなったら、ちょっと危ない。

と痛みの中で朦朧としていると、

「兄ちゃん。あまりにもそれ、おかしいわ。病院行こう」と言って妹がクルマを出してくれることになった。妹は3年前に亡くなった祖母の介護でも、まだ小さい子供たちの子育てでもけっこう救急病院に駆込んでおり、様子が分かるとのこと。

救急病院1時間待ち

クルマで20分ほどの距離だが、途中で一度クルマを止めてもらって道端で吐いた。

生まれてはじめて、妹に感謝した。

病院に着いて、救急の窓口に行って、妹が病状を伝えて、申し込みの書類を書いてくれる。

僕は痛みでうめき声が出ちゃうので、他の人に迷惑をかけないようにというか、変だと思われないように、なるべく目立たないソファーを探して、そこに行ってうめいていた。

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受け付けが終わって待ってくれと言われるが、なんか風邪の人とかが4〜5人いて、一向に順番が回ってこない。

トイレ行って吐いたり、痛みで貧乏揺すりをしたり、うんうん唸ったりしてみる。

いや、救急ちゃうんか。こんなん待ってられへんって!

妹が「あの、かなり痛がってるんですけど、順番待たないいけないんですか?」と聞いてくれるが、「他の方も、救急でいらしているので……」と言われて戻ってくる。

まぁ、救急となるとなぁ。腕取れた人とか、心肺の動きが停った人とかも来るだろうから、それに比べれば、自分で歩いてきている腹痛のオッサンとか、優先順位は低いよなぁ。

トリアージ的には緑のタグだ。こりゃ順番は回ってこない。

そう考えると、黄色とか、赤とか、黒のタグって大変なことだなぁ……とか考えるけど、痛いものは痛い。もう出るものは上下出切ってるし、脂汗がダラダラ出てきて、真冬なのに暑くしてしょうがない。

そして、1時間ぐらいして、ようやくなんとか呼んでもらえた。

辱め

とりあえず、診察。

体温を計り、血圧を計り、2〜3話しを聞いて、だいたい想定はついたようで、「とりえず座薬を入れましょう」と言われて「横になってズボンを下ろして」と言われて、「ええ、そんなん恥ずかしい」とか思ってるウチに座薬を入れられてしまう。

痛くて、それが柔らぐなら、もうどうにでもしてな感じだが、恥ずかしいものは恥ずかしい。その後、CTスキャンを取って、点滴をしながら待つように言われる(すでに、このへんの順番はちょっと記憶があいまい。ああ、もっと早く書いておけばよかった)。

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痛みはこのアタリがピークだったように思う。たしか、少し余裕が出てきたのか、このあたりでFacebookに投稿してたりしたような気がする。

バカなことをと思うかもしれないが、少しは気が紛れるのだ。

痛みは波のように訪れるので、マシな時にコメントに返信し、痛くなると足をゆすりながら耐える。

結石人生のスタート

医者に呼ばれて、ようやく症状が分かる。

尿管結石なのだそうだ。腎臓で形成された結石が、尿管を通って膀胱へ向かう。その途中で周りの組織が緊張したり、荒れたりして、痛みを伴う。

結石って、体質的な問題だから一度なるとたびたびなるらしい。うう、いやだ……。

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写真撮っていいですか? と聞くと快く了解してくれる。いまどき、こうやってSNSに投稿したりする人も多いんだろうなぁ。

たしかに、右に石が見えて、その上の方の管が腫れている。これが痛いのだろう。

腎臓でできると腎臓結石。腎臓と膀胱の間だと尿管結石。膀胱から尿道へ行く時に傷むと尿道結石というらしい。

尿管結石の場合、小さくても傷むので、膀胱まで行くと逆に知らない間に出てしまうことが多いのだそうだ。よく言う『カンカラカン』と出てくるというのは尿道結石の場合。

石の直径は4mmで、このぐらいなら、水をたくさん飲んで流れ出るのを待つという。ええー、超音波で破壊とか、手術して取り出すとかしないのか。ガマンするだけ?

まぁ、後々だんだん分かるのだけど、切ったりすると当然そのダメージの方が大きいから、基本痛みに耐えて、流れ出るの待つような物らしい。命にかかわるわけじゃないから、基本的にお医者さんもシリアス度が足りない気がする。こちらの痛みに対して。

じきに、痛みがマシになってきて、薬が出て、点滴を抜いてもらって帰ることになる。

薬は、銀の弾丸のような座薬が5つと、飲む錠剤が5錠。同時には使わないが、座薬の方が効くらしい。しかし、座薬はどこでも使えるものでもないし、体温で溶けるので要冷蔵らしい。つまり、外で痛くなったら、飲み薬で耐えるしかない運用。家なら冷蔵庫に入れた弾丸を使えるというワケだ。

もう5時前。痛みはじめてから4時間。激痛に耐えて筋肉をこわばらせるからヘトヘトだ。

帰って、痛みもマシになってきたから眠る。

娘は痛くなる前に寝てしまっていたから、一晩激痛と戦った父の大変さを知らない。呑ん気なものだ。

翌朝、遅め、11時頃に起きたら痛みは引いていた。もう、膀胱へと流れてしまったのだろうか? それとも、鎮痛剤の効果なのだろうか?

これでひと安心……と思ったが、尿管結石はそんな甘いものではなかった。

(結石闘病録・その2(2018年12月31日編に続く)

(村上タクタ)